専務手記
導火線に火をつけよう。
2012.03.09
先日、日当山夏祭りの準備委員会に参加して参りました。
今回は、少しだけ日当山の夏祭りについて過去からの流れを説明したいと思います。
まず、読み方ですが「ひなたやま」です。
県外の方などが来られると、「ひあたりやま」と読まれる事が多いです。(^_^;)
日当山とは霧島市隼人町にある地域名で昔の町名でもあります。
備考:隼人町と日当山町が合併し、隼人日当山町。その後名前が隼人町に変わり、
現在の霧島市隼人町に。
昔より県内有数の温泉街として栄え、多くの著名人や歴史上の有名人などが訪れている地で、
現在、住所登記などに「日当山」という文字はありませんが、駅名や小学校・中学校を始めとした
公共施設などに名前が多く残っております。
中村タクシーの本社も、大きく分けると日当山地域にあります。
そこで昔から大きな花火大会がありました。
大会名は花火大会や夏祭りや納涼祭など数回変更がありますが
50年近くも続き県内でも3本指に入る歴史ある花火大会で、
祭りの当日は毎年多くのお客様が花火を見に来られてました。
しかしながら、平成の大合併で霧島市が誕生した頃、
様々な原因が重なり、歴史ある日当山夏祭りが中断してしまったのです。
それを地域の方々はとても悲しみ、残念に思っていたところ、
前実行委員長の米徳さんが、
「はじめは小さくてもいいから、手作りで日当山夏祭りを復活させよう!」
と、立ちあがられたわけです。
花火はないものの、地域の方々や近所の小中学校のご協力をいただき、
音楽演奏やハワイアンダンスなどの催し物。吹奏楽部の演奏。
日本舞踊にお楽しみ抽選会など。お祭りは大盛況だったようです。
私も去年から微力ながらお手伝いをさせていただいているのですが、
年々、お祭りの規模がどんどん大きくなっていき、去年も大大成功でした!
昨年の日当山夏祭りの様子(抽選会)
そうなると同時に、このような声を聞く事も増えてきました・・・。
「来年こそは花火があがるの?」
やはり地域の方々には「日当山の夏祭り=花火」と言う思いが
いまだに強く残っており、復活を望む声を沢山聞くようになりました。
その考えは、もちろん実行委員会も同じでした。
私も幼い頃から日当山夏祭りの花火は見に行ってました。
友達と自転車こいで毎年出かけた思い出を鮮明に覚えており、
夏休み中の大きな楽しみの一つでした。
去年の祭りが終わった後の反省会でも、もちろんこの議論になり、
さまざまな意見がでました。
意見と言うよりはむしろ問題提議ばかりでした。
航空関係との調整は大丈夫か?
交通規制は難しいのでは??
住宅地がすぐ近くにあるが安全面に問題ないか??
・・・そもそも、予算が集まるのか。
本当に色んな意見が飛び交った後、
最後にみんなで出した結論が・・・・
「来年こそは、いよいよ花火を復活させよう!!」と言う事でした。
現在、米田新委員長の元、今年の夏に向かって様々な事をみんなでチャレンジしております。
自分の子供達の世代も日当山の花火が見れるように。
日当山の夏祭り、夜空に大輪の花が咲く事をご期待下さいませ(^-^)