専務手記
霧島六社権現 ~その②~
2013.02.12
続いて目指したのが「狭野神社」。
サノ神社と読みます。
霧島東神社で参拝を済まし、来た道を戻り、国道へ出ます。
国道に出ると左折し、223号線をさらに宮崎方面に車を走らせると、
左手に看板が見えてきました。
看板の通りにわき道に逸れて5分程走ったところに狭野神社はありました。
まず車を駐車場に停め、鳥居を目指したのですが、
その道中に・・・仁王様発見!
なんでもこの仁王様達。
大豆の神様と言われているらしく、足腰の痛みを癒してくださるんだとか。
(私も詳しくはないのですが、ネットで調べてみると大豆ペプチドや大豆イソフラボンなど
ネット通販でよく聞くような成分が関節痛などには効果的らしいです。)
と言う事みたいなので、皆様からのお供え物はやっぱり・・・
大豆でした。(^-^)
さて、駐車場から歩いてすぐの場所に大鳥居がありました。
こちらの参道入口も樹木の大きさなどから歴史が感じられ、
とても趣きのある鳥居でした。
道路を渡った鳥居の反対側をふと見てみると、
今ではあまり利用されていなさそうな、旧参道を見つける事ができました。
(本当はこっちも行ってみたかったのですが、時間節約の為、なくなく断念。)
鳥居をくぐって参道を歩き、社殿を目指します。
神社内での禁止事項。肝に銘じておかなければ。 (魚??)
参道は、いかにもマイナスイオンが漂ってそうな緑のトンネル。
しばらく参道を歩いていると、
朱色に染められていない手水舎と門が見えてきました。
色が染められていない事で、より威厳があるように見える門をくぐった所には・・・
こちらも立派な社殿が!!!
ちょうど私が社殿についた時にはお宮参りの家族がいらっしゃいました(^-^)
狭野神社の創建も古く、孝昭天皇の頃と言われるそうです。
はじめは高千穂峰の麓にある皇子原と言う土地に建てられていたが、
数度に渡る霧島山の噴火により社殿の焼失を繰り返し、
慶長15年(1610年)に現在の地に遷座されたそうです。
社名は神武天皇の幼名「狭野尊」に因むものだとか。
大正4年までは宮崎県の県社に列格していたが、大正4年に官幣大社宮崎神宮の
別宮に指定され、そして第2次世界大戦後に再び独立した神社に戻ったという経歴だそうです。
また、この神社に来て嬉しい発見をしたのが、
この御神木。
なんと、戦国時代、薩摩国の随一の智将として知られる
「新納忠元」公が植樹されたそうです!
なんでも豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に島津軍は狭野神社で戦勝祈願をし、
無事に朝鮮から帰ってこれた事を感謝し、神社に杉の木を奉納したそうです。
参道に残る大杉もその時のものだそうです。
お寺・神社ファン。並びに戦国ファンの一人として最高の収穫でした!(^-^)
駐車場に戻り、次の神社に向かおうと車に乗り込むと
高千穂の峰が見えました。
こちら側から見ると、普段私が見ている形とは違いましたが、
はるか昔から、この地で生活されている沢山の人々に親しまれ、敬われ、祀られている霧島は
すごい存在なんだと改めて感じさせられました!