専務手記
霧島六社権現 ~その③~
2013.02.12
続いて目指したのは「霧島岑神社」。
読み方は、霧島ミネ神社です。
行き方はと言うと・・・
上手く説明できません。苦笑
車のナビに神社の住所をセットしてみたら該当箇所がヒットせず、(焦)
大体の住所を入力して近隣を走っていたら
「あっ!」と、たまたま見つける事ができました!苦笑
昔の修行僧や修験者の方は
ナビも地図もない時代に、どうやって道を覚えてたんでしょうね。((+_+))
住所で言うと宮崎県小林市細野。
六社権現の中で最も北側に位置しております。
偶然通り沿いに看板と鳥居を見つけ、
わき道に入る事、数百メートル。
身長140cmぐらいの小柄な仁王像がお出迎えをして下さいました!
駐車場はまだ奥の方にあるのでそちらにに車を停め、
参拝する者のマナー(?)として、ここまで歩いて戻ってきました。
そして仁王様達に招かれるように参道へ。
こちらも大きな樹木が生い茂っている素敵な参道でした。
長い年月で築かれたコケの生えた石畳を進むと、
緑のトンネルの中に鳥居が。
参道をさらに進むと社殿が見えてきました。
率直な感想として、
今回見てきたいくつかの社殿の中で、
特段着飾ってもいない、最も素朴な社殿に感じられました。
しかし、このような雰囲気こそが、遥か昔から現在に伝えるべき
神社の本来の姿なのかもしれないと感じました。
下調べによると、創建年代は不明。
日向三代(皇室の祖先)とその配偶神が祭神で、
承和4年(837年)の書物である「続日本後記」にも霧島岑神として
記載されているそうです。
古来より島津氏をはじめ伊東氏・北原氏等この地を領した諸氏の崇敬厚く、
江戸時代においては藩主・島津氏の手厚い保護を受ける名社として栄えたそうです。
元々この地には、霧島六社権現で一社だけ姿を消してしまった
夷守神社があったそうです。
(霧島岑神社はもっと山の方にありましたが度重なる焼失でこの地に遷座されたとか)
霧島中央権現宮とも言われ、霧島六社権現の中心地として隆盛期を迎えたそうです。
昔の繁栄を想像しながら参拝。
参拝客は私一人で貸切でした。(^_^;)