専務手記
霧島六社権現 ~その④~
2013.02.14
次に向かう神社は・・・
今回の霧島六社権現周りの中で、
下調べの段階から個人的に一番興味があった神社です。
その神社の名前は、「東霧島神社」。
今、ほとんどの方が「ひがし霧島神社」と読んだでしょうが、
「つま霧島神社」と読みます。
霧島六社権現の中には、霧島東(ひがし)神社と東(つま)霧島神社がありますのでご注意を・・・
さて、小林市の霧島岑神社から都城方面へ走る事20数キロ。
今回はナビの住所にもバッチリ該当場所を見つけられたので
安心しながら鼻歌まじりの道中♪ 笑
宮崎県都城市の高崎町と言う場所に東霧島神社はあります。
ナビのお姉さんの声が明るく道案内をしてくれるので
気楽にアクセルを踏み込み、
目的地にどんどん近付いて行きます!
近づいては行くのですが、
窓の外の景色は・・・
人家はほとんど無くなり、どんどん山の中へ・・・
「本当にこっち?住所をセットし間違えたかな・・・。」
なんて不安に思っていた所に、なんとか発見しました。
立派な大きな鳥居です。
ただ、右を見ても、左を見ても・・・・
本当に、な~んにもありません!!!(@_@;)
なんとか無事に目的地に着いた安堵感を抱きつつ、
早速鳥居をくぐって神社の中へ。
入口付近に神社内の案内看板を発見。
下調べした通り、たくさん見所がありそうです。(^-^)
まず近い所から回ろうと思い、こちらを見学に。
えっ? 神社に鐘?!
鐘って私のイメージではお寺さんにあるような・・・。 (除夜の鐘とか。)
しかも仏教文字の卍のマークも確認。笑
始めから強烈なボディを一発もらったような気がします。
しかし案内看板を読んでみると、大変貴重な鐘みたいです。
私なりに簡単に要約するなら、
この鐘は、大阪夏の陣に出陣する島津軍が諸願成就の為に奉納したもの。
その後、明治時代の廃仏毀釈により鹿児島県の細工奉行所に移され、
西南戦争の後に長崎県の宝性寺というお寺の鐘楼に吊るされていた。
第二次世界大戦中にも供出されず奇跡的に残っており、
昭和56年に高崎町への移管交渉が成立し現在に至る、そうです。
(南九州で鋳造された鐘は他には現存しないらしいです。)
でも、やっぱり神社には似合わないような気が・・・・。笑
次に、神社の境内を奥へと歩いていると、
立派な大杉がたくさん生えていることに気づかされます。
その中でも一番大きな大杉の前に案内板が。
ここにも新納忠元公が?!
霧島六社権現が島津家より手厚く保護されていた事がよくわかります。(^-^)
そんな緑豊かな境内を歩いていると、
東霧島神社のメインスポットの一つを発見。
「神石」です。
日本誕生の神代の頃。
天地創造のイザナギとイザナミと言う夫婦の神様がいらっしゃいました。
二人の神様は大地や山・川・草木などお造りになり、
私達の生活に必要な「火の神様」をお生みになられました。
その事により妻のイザナミはこの世を去ってしまいます。
残された夫のイザナギはたいへん嘆き、
その悲しみが涙で固まったものが神石となりました。
そしてイザナギは十握(トツカ)の剣で、
このような悲しみや災難に再び世人が遭わないように、という思いを込めて
神石を三段に切ったそうです。
その石がこちらです。
・・・すごい。
見事なまでの断面に、思いの強さが表れていますね。
東霧島神社の社宝に指定されているようです。
こちらの東霧島神社は本当に見所がたくさんあり、
「霧島六社権現 ~その⑤~」でも引き続きご案内させていただきます。
次は鬼が一夜で作ったと言われる石段があります。(^-^)
(龍王神水と言われる御利益のある水)