専務手記

火の国で勉強した後に。

2014.04.29

先週末に熊本県の熊本駅構内タクシー様でセミナーを受講した後の話。

 

 

時刻は13時を回った頃。

お腹も空いてきたので熊本市のメインストリートである下通りへ。

何食べようかな~、熊本ラーメンにしようかなぁ~

なんてキョロキョロしていると見つけました!

熊本名物「太平燕」。(タイピーエン)

 

実は食べた事がなかったのですぐに入店!

すると、たまたま入ったお店が太平燕で有名なお店だったみたいです!ラッキー!

紅蘭亭の太平燕。ヘルシーでたいへん美味しゅうございました。(*^_^*)

 

 

昼食もとり、久しぶりの熊本市内をブラブラと。

さすが政令指定都市・熊本。

おしゃれなお店や鹿児島には進出していないお店がたくさんあります。

週末と言うこともあり人も多い!

2時間ほど市内を散歩。

4時頃になり、そろそろ帰ろうかな?それとも、長らく行ってない

熊本城でも見てから帰ろうかなぁ?なんて考えてた時。

 

 

そうだ!!!こんなゆっくり散歩してる場合しゃない!!!

「今度熊本に行ったら必ずココに行こう!」って決めていた場所があったんだ!!!!

確か、名前は・・・雲巌禅寺!!!

 

もっと早く思い出せれば良かったのですが・・・

とにかく急いで駐車場へ戻り、場所を検索。

住所は熊本市西区なんですが、車でも30分!

遠いなぁ~・・・。でもせっかくのチャンスだし、行こう!!!

 

 

ここで雲巌禅寺を簡単に紹介するなら・・・

お寺建立は南北朝時代とかなり古いらしいです。

五百羅漢とよばれるものすごい数の仏様(のお弟子)の石像が並べられている・・・らしいです。

これだけでも神社仏閣ファンとしては興味深々の場所なんですが、

このお寺は、あの剣聖・宮本武蔵が五輪書を記したとされる霊巌洞という洞窟があるらしいです!

 

宮本武蔵。

わたくし、バガボンド全巻持ってます。大好きです。w (宮本武蔵・佐々木小次郎のコミック)

 

 

下調べによると、

剣聖・宮本武蔵は吉岡一門との戦いや巌流島の決闘の後、諸国を転々とし、(諸説アリ)、

晩年は肥後藩藩主・細川忠利公に招かれ熊本で過ごします。

その際、雲巌禅寺に幾度と通い、

寺の中の霊巌洞と言う洞窟に籠り、有名な五輪書を書いたそうです。

そして死後は武蔵の遺言通り、甲冑姿で街道沿いに葬られたそうです。

これは恩顧ある細川家が、江戸へ参勤交代で上京する際に守り神になる為だったとか。

 

とにかく行ってみよう!

 

 

 

市街地を車で抜けると、徐々に山道へ。

途中、車の離合すらできないような細い道もあったり。

とにかく深い緑の中をひた走りました。

道中、剣聖もこの道を通ったのかな~なんて考えてると嬉しくなり、

期待に胸が膨らみます。

 

 

30分ほどしてようやく駐車場に到着。

駐車場の隣ですぐに宮本武蔵と対面する事ができました!

この像は「勝ち運を呼ぶ武蔵像」と呼ばれ、

宮本武蔵が60回以上の戦いで一度も負ける事がなかった事にちなみ、

その勝負運の強さに肖ろうという石像。

 

 

石像に力一杯拝んだ後、場内の案内板に従い、いよいよお寺へ。

 

気持ちの良い緑の中、歩きます。

 

思っていた以上に、歩きます。

 

そして、やっと到着。

 

お寺の入り口にある説明看板も熟読し、いよいよ中へ。

 

下調べによると拝観料が200円。

財布を片手に取りだし、大きな期待を胸に社務所へ。

 

しかし、そこで待っていたのは予想外の出来事でした・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昔、巌流島の決闘で佐々木小次郎は言ったそうです。

「遅いぞ武蔵!」。

 

今、お寺の入り口で立ちすくむ僕は言いたかった。

「(閉めるのが)早いぞ武蔵!!!泣」。

 

必ず今度は、ちゃんと下調べをして再チャレンジしたいというお話でした。苦笑

 

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名前:中村 博人

役職:専務取締役  血液型:AB型

家族構成:妻・娘(H22.5生)・息子(H24.7生)

東京より鹿児島に戻り、平成20年に中村タクシーに入社。皆様の快適なタクシーであり続ける為、日々勉強中。地元商工会の青年部活動にも積極的に参加し、会社の為・地域の為・家族の為に頑張ってます!

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